2008/05/02時事ドットコムより
−引退決断の理由は。
目標は北京五輪だったが、最終代表選考会で敗れ、もう柔道人生に悔いはなかった。
−25年の柔道人生は。
父にあこがれて5歳で柔道を始め、精いっぱいすべてを懸けて生きてきた。長いようで、あっという間だった。
−アテネ五輪後の4年間は。
いろんな苦労、つらいことがあった。全日本選手権でファンにあれだけの声援をいただいた。その時、目標としていた、あこがれていた柔道が完成したんじゃないかなと思う。
−この1年間は。
勝つことを目指して迷いもあったが、攻めて一本を取りにいくのが自分の柔道。これを最後まで貫き通すことができた。本当に幸せな柔道人生を歩ませてもらった。
−どんな指導者に。
日本の柔道がどう強くなるかを考えていきたい。強さはもちろん、人間的に素晴らしく、愛される柔道家を育てたい。情熱をささげられる指導者になりたいと思う。
東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』
−引退決断の理由は。
目標は北京五輪だったが、最終代表選考会で敗れ、もう柔道人生に悔いはなかった。
−25年の柔道人生は。
父にあこがれて5歳で柔道を始め、精いっぱいすべてを懸けて生きてきた。長いようで、あっという間だった。
−アテネ五輪後の4年間は。
いろんな苦労、つらいことがあった。全日本選手権でファンにあれだけの声援をいただいた。その時、目標としていた、あこがれていた柔道が完成したんじゃないかなと思う。
−この1年間は。
勝つことを目指して迷いもあったが、攻めて一本を取りにいくのが自分の柔道。これを最後まで貫き通すことができた。本当に幸せな柔道人生を歩ませてもらった。
−どんな指導者に。
日本の柔道がどう強くなるかを考えていきたい。強さはもちろん、人間的に素晴らしく、愛される柔道家を育てたい。情熱をささげられる指導者になりたいと思う。
東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』
東原亜希 - Wikipedia
東原 亜希(ひがしはら あき、1982年11月11日 - )は、日本の女性タレント。所属事務所はプラチナムプロダクション。
井上康生オフィシャルサイト - 柔道無双 -
柔道・井上康生選手の公式サイトでは、本人からのビデオレターや日記、プロフィール、写真、記事などを公開。
井上康生 - Wikipedia
井上 康生(いのうえ こうせい、1978年5月15日 - )は、宮崎県宮崎市出身(但し、出生地と幼児期を過ごしたのは都城市)の柔道家(五段)。出身道場は静充館(宮崎市)。2000年シドニーオリンピック柔道競技男子100kg級金メダリスト。得意技は内股。 ...
++++++++ 周囲の人たちの談話 +++++++++++++
◇一つの時代が終わった
山下泰裕東海大教授
一つの時代が終わったと感じる。母や兄の死。けがなどの挫折を経験し、逃げることなく立ち上がった。指導者となっても、苦しみから逃げない姿勢が生きるのではないか。世界的な視野、国際感覚を持った指導者になってもらいたい。
◇柔道の申し子
斉藤仁全日本男子監督
日本の柔道を支えてくれてありがとう。けがをした時も負けた時も、日本のエースは康生だよと声を掛けた。柔道の申し子のようだった。選手時代の経験を生かし、康生らしい指導者になってほしい。
◇経験今後に生きる
吉村和郎・全柔連強化委員長 栄光も挫折も味わってきた経験は今後に生きる。(強化委員長として)厳しいことも言ってきたが、それでくじけるような男ではないと分かっていた。

